郡山市台風被災支援 2019年10月18-19日

台風19号により日本各地で大雨が降り、各地で1級河川が氾濫し、大規模な水害が発生しました。福島県では、阿武隈川が氾濫し、場所によっては1m以上もの水深になるほどの浸水被害が起こりました。新松戸リバイバルチャーチでは、古くより交流がある福島県郡山市の郡山グレースガーデンチャペルが行なっている災害ボランティアに加わり、2019年10月18-19日にNPO法人 子どもの環境を守る会 Jワールドのメンバー、流通経済大学のボランティアサークル ファイヤーファイターズのメンバーと共に被災地支援に行きました。

郡山市に入ると水は引いているものの、至るところで洪水による泥が残っていたり、水没した家財道具が道路脇に山積みになっている光景が目に入ってきました。

道路脇には洪水により運ばれてきた泥が堆積
水没した家財道具を運び出す住民の方

12時前に郡山グレースガーデンチャペルに到着し、三箇義生・豊実牧師夫妻より当日の被害状況を聞き、一面が水に浸かっている、まるで湖の中に市街地があるかのような写真を見せていただきました。東日本大震災の時にあった津波の再来を思わせるような光景で、言いようのない恐怖を覚えました。

この地区では、これまでにも何回か洪水被害はあったものの膝下までであったため、今回は避難命令が出てもなかなか避難されない方がいて、いざ逃げようとしてもドアが開かずに脱出できずに亡くなってしまったというケースが多く、日々その状況が明らかになっていき、死者の数が増えていくという状況であることも涙ながらに語ってくださいました。

到着後、昼食を取りながら、被災状況を三箇義生 牧師より伺いました。

18日午後は、教会の近所にあるお米屋さんでの泥かき作業、倉庫内の整理を行うことになりました。倉庫の前には泥が堆積しており、雨が降る前に除去しなければ、ひどくぬかるんでしまうような状況になっていました。また、倉庫内では、浸水により重たい米袋や肥料が積まれたパレットが浮いて崩れてしまうなどしており、内部の冷蔵庫も浸水し、大量に廃棄しなければならない状態でした。

倉庫の周りに泥が堆積し、ひび割れている
内部の冷蔵庫も浸水し、やむなく廃棄に
パレットに乗った荷物が移動し、散乱

泥かき作業では、水を含んだ泥がとても重たく、土嚢に詰めて移動させるのが大変で、倉庫内の整理では紙袋が多く使われているために、すぐに破れてしまい、こぼれ出たものを拾い上げて回収しました。また、地下にもシャッターのついた倉庫があり、水圧で開かなくなってしまっていましたが、なんとかこじ開けて中の荷物を運び出すことができました。大雨の心配もありましたが、幸い雨は降らず、3時間ほどで泥かき、倉庫内整理のほとんど終えることができました。住民の方々は毎日このような作業を行われており、本当に頭の下がる思いでした。依頼者の方に感謝の言葉をいただき、少しでも復興の力になれたことを嬉しく思います。

Jワールド子どもの環境を守る会のメンバー
みんなでの泥かき作業

翌日19日の午前は、個人のお宅に伺い、水没した家財道具の運び出しを行いました。お宅に向かう途中で、広場に運び出された粗大ゴミの山、道路脇に延々と続く粗大ゴミの山を見かけました。すれ違う車の多くは、水没した家財道具を積んだもので、自衛隊の車両も頻繁に見かけました。阿武隈川の東側にあるこの地域は、水が何日にも渡って滞留した、特に被害のひどい地域だそうです。

広場に運び出された粗大ゴミの山
浸水被害を受けた建物。泥の線がはっきりと見える。
道路脇に積み上げられた粗大ゴミ

伺ったお宅は床上浸水の被害を受け、住むことができなくなってしまっていました。私たちは、物置に残された大型のブラウン管テレビ、冷蔵庫、洗濯機など、個人ではとても運びきれないものを運び出しました。冷蔵庫など大型のものは細い通路から運び出せないため、塀の外へと持ち上げ、隣の建物の敷地から運び出すなど、肉体的にとても大変なものでした。現地のメンバーの方にも協力していただき、どうにか運び出すことができました。

物置周辺にある運び出すものを確認している様子
運び出した荷物
運び出しを終え、メンバー全員で記念写真
教会に戻り、現地のメンバーと一緒に記念撮影

帰路に着く前に、三箇豊実 牧師に近くの郡山市立永盛小学校を案内していただきました。この小学校は災害時の避難場所にも指定されていますが、阿武隈川の本流と支流の間の三角州に位置し、台風当日は本流が氾濫するのを防ぐために支流をせき止めたために支流が溢れてしまい、その結果人の背丈よりも高くまで水没してしまったそうです。そのため、教室内部にも大量の泥が流れ込んだりして設備がダメージを受け、修理のために1年間使用することができなくなってしまったそうです。通っている子どもたちは、それぞれ近くの小中学校に分散しなければならないとのことで、突然離れ離れにならなければならない状況になったことを思うと、とてもいたたまれませんでした。近くの民家も、普通に人が暮らせそうに見えましたが、廃屋になってしまっているとのことで、本当に水害が恐ろしいものであることを実感しました。

被害状況を聞く様子
小学校は避難場所に指定されている
青矢印で示す高さまで浸水したことが見て取れる

この小学校に通う子どもの中には、精神的なパニックを起こす子もいるそうです。いつも遊んでいた場所や公園が一夜にして突然と消え、小学校にも行くことができないという異常事態のため、不安が増し、お母さんが少しでも離れると泣き出し、家の玄関に「お母さん、一人にしないでください」という手紙を置くほどに精神的に追い詰められてしまっているとのことです。他のお友だちも、楽しみにしていた行事がなくなってしまったこともあり、なかなか元気が出ない状況ということも合わせて、三箇豊実 牧師が語ってくださいました。「子どもたちが早く元気を取り戻し、元の生活に戻ることができるように心に覚えて祈り続けて欲しい」と涙ながらに切に訴えておられました。

また、最後に三箇牧師夫妻より、今回のボランティアを通して経験したことを忘れずにいて欲しいと、強調して語られました。例えば、水害時には普通の軍手だけでは濡れてしまうため、防水性のものを使用しなければならないなど、何気ないことだが災害時にならなければなかなか気付けないことが復興活動では大きな違いになってくる、などです。近年、大規模な災害が増加しており、どこで災害が起きてもおかしくなく、またメディアを通じて得られる情報というのは限られているため、いざというときに、率先して動ける経験者がとても重要な存在であることを教えていただきました。

今回は2日間という短い期間でしたが、現地の方に喜んでいただけたこと、また希望を受け取ってもらえたことが本当に嬉しく思います。まだ避難所生活をされている方もいらっしゃり、1日も早く元の生活に戻れるように願ってやみません。今後も、物資や作業の支援だけでなく、被災された方々の精神面のケアにも協力していきます。