デューラーの祈る手

画家を志している二人の青年がいました。二人とも貧しかったため絵の勉強を続けることができませんでした。
 そこで、彼らは「君がまず勉強をすれば、僕が働いて君の学費を払うよ。君が画家になったら、僕の学費を出してくれ」と約束しました。時が経ち、ついに一人の青年が絵の勉強を終え、人々に認められる画家になりました。青年は卒業証書を手に、レストランで働く友だちのところへ走って行きました。レストランの明かりは消え、暗い部屋の隅から友だちの祈る声が聞こえました。「神様、友だちが絵の勉強を終えることができるように導いてくださり感謝します。私の手は長い間食堂で働いたせいでかたくなってしまったので絵を描くことをあきらめなければなりません。それでも友だちが画家になったことで満足です。今の私の願いは、才能に恵まれた友だちが私の分まで絵を描き、すばらしい画家になることです。いつも友だちのために祈ることができるようにしてください。」
 この様子を見ていた青年は、己を犠牲にして尽くしてくれた友だちの美しい心に感動し、そのかたくなった手を涙ににじんだ目で見ました。その手があまりにも美しかったので、彼はその手を絵にしました。この絵が有名なドイツの画家アルブレヒト・デューラーの「祈る手」です。デューラーは自分のために犠牲となった友の手、自分のために祈る友の手を描いたのです。イエスの心とは友のために喜んで犠牲となり、愛を注ぐ心、たとえ自分は夢を叶えられなくても、友の成功のために祈る心です。

みことば
キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。

ヨハネの手紙第一3章16~17節